2020年10月30日金曜日

『類經』ノート 卷一・三、古有真人至人聖人賢人 つづき(七ウラ~)さらに

 ○天地之道,天圓地方,

『靈樞』邪客:「天圓地方,人頭圓足方以應之」。

『大戴禮記』曾子天圓:「天圓而地方者,誠有之乎」。

百度百科によれば,「天圓地方」は『尚書』虞書・堯典が出典。

https://baike.baidu.com/item/%E5%A4%A9%E5%9C%86%E5%9C%B0%E6%96%B9


○乾為天,乾者健也;坤為地,坤者順也。君子之自強不息,

『易經』乾・象傳:「天行健,君子以自強不息」。


○安時處順,

『莊子』養生主:「安時而處順,哀樂不能入也」。大宗師:「安時而處順,哀樂不能入也」。


★このように,類注を読んでいて,経文(本文)とどう繋がりがあるのかと首をかしげたくなる文が出てきた場合は,出典があるのではないかと考えて類文を検索すると,古籍で見つかる可能性が高いです。

出典がみつかれば,著者張介賓のいいたいことがより深く理解できるようになるでしょう。

いまでは,中国哲学思想の基礎的知識教養がなくても,ある程度,出典を探し出すことができる時代になりました。

2020年10月29日木曜日

郭靄春先生

  これまた偶然に、1985年11月の第1回天津学術交流会の写真が出て来ました。35年前の写真です。なんと郭靄春先生が写っていました。もう一人は金古英毅さん。 



2020年10月22日木曜日

安徽中医薬大学 王鍵学長

  ふと、本箱から、安徽中医薬大学に招待されたときの名刺群が出て来ました。10年くらい前なのかなあ。

 学生3万人の大学の学長が王鍵さんで、なんどか食事に招待されました。生まれ年が同じなので気安くなりましたが、片や学長さん、片や小さな会の会長さん。よく招待してくれたと思います。

 ネットで検索したら、2020年10月16日、王鍵学長の収賄罪が確定したもよう。10年の刑と、60万元の罰金だと。なんとまあ。まさに裏表、天国と地獄。こういうのを陰陽というならば、日本では陰陽の真の理解はできないのだろう。陰陽はあまり振りかざさないほうがいいかも。

 かの有名な石学敏の名刺もありました。フランスの中医学の校長の名刺もありました。ずいぶん高名な方々とお会いしているのですが、あまり血肉になりませんでした。

 そういえば、香港中文大学からもご招待受けたこともあります。日本内経医学会というのは、だいぶ有名らしい・・・

2020年10月20日火曜日

『類經』ノート 卷一・三、古有真人至人聖人賢人 つづき(七ウラ~)

 ○聖,大而化也。

『孟子』盡心下:「何謂善?何謂信?」曰:「可欲之謂善,有諸己之謂信。充實之謂美,充實而有光輝之謂大,大而化之之謂聖,聖而不可知之之謂神。樂正子,二之中,四之下也。」


○和其光,同其塵也。

『老子道徳經』四:「和其光,同其塵」。和光同塵:光を和らげ塵に同ずる。すぐれた才能を隠して、俗世間に交わる。


○人操必化之器,託不停之運。

宋・褚伯秀注『南華眞經義海纂微』(『莊子』)卷之十六・内篇大宗師第三:「世人操必化之器、託不停之運、為化所遷、不自知也」。

東晉・張湛注『沖虚至德眞經』(『列子』)卷一・天瑞:「昧者操必化之器、託不停之運、自謂變化可逃、不亦悲乎」。


○烏飛兔走,誰其免之?

【烏飛兔走】古代傳說太陽中有金烏,月亮中有玉兔。比喻日月運行,光陰流逝快速。歳月のあわただしく過ぎ去るたとえ。月日の速く過ぎるたとえ。

【烏兔】神話中,日中有烏,月中有兔。後人則以烏兔代稱日月。

2020年10月16日金曜日

九針十二原篇のあらまし(仮)

〇黄帝と岐伯の問答の辞から始まる2段落とする。前の段落は九針の篇で「どう刺すか」,後の段落は十二原の篇で「どこへ刺すか」。

〇微針を以て経脈を通じることによる治療を確立したい。そのために先ず『針経』を成立させる。

〇補写の3様:

➀小針の要:刺の微は速遅に在る。つまり刺すべきときに刺し,抜くべきときに抜く。タイミング。

➁大要:徐刺速抜と速刺徐抜。手技のスピード。

➂写曰迎之,補曰随之:術者の責任か,患者の身体の反応次第か。

漏らすつもりであれば,術者が積極的に奪いにいくべきである。保つつもりであれば,じっくりと聚まるのを待つしか無い。術者の思惑通りにはいかない。

〇此処に施術しても彼処に何の反応も無いとしたら,その間に障碍物が有るはずであり,血絡として横居しているのであろうから,それを取り除く。

〇上記のような状態を解決するには,針術がもっとも有効である。そこで様々な針の形状と用途を説く。いずれも針の尖端を病処に届かせる。どうして遠隔操作的な針術を記述しないのか。

〇陥脈,中脈は刺針の深度の問題。ごく浅く刺して陽邪を散じ,やや深く刺して陰邪を漏らす。さらに深くして分肉の間に届けば精気が至る。

〇病によって在る処はそれぞれであるから,用いるべき針はそれぞれであるべきで,相応しくない針の使用,過剰な施術は危険をまねく。

〇針の施術が有効であるのは,患者の身体が反応したからであり,闇雲に刺しさえすればいいとというわけにはいかない。刺の道は,気至らざればその数を問うこと勿れ,気至れば乃ちこれを去り,また針すること勿れ。

〇針術は極めて微妙なものであるが,曖昧というわけものではない。きちんと施術すれば明確な反応が現れるはずである。

〇経脈には神気の遊行出入するポイント=本輸がある。

〇経脈の一端に本輸があり,他の一端に蔵府がある。

〇五蔵の気は,内の掖膺と外の四末で,絶したり実したりしている。内が絶したときに,外を実せしめてはならぬ。外が絶したときに,内を実せしめてはならぬ。腋膺か四末か。刺すところによって,経脈に傾斜が生じる。

〇施術量は必要充分であるべきで,過剰になったりすることが特にいけない。

〇腕踝の関節の原穴が,五蔵の診断兼治療点である。

〇鬲肓の原は府の病を分担する。脹満と飱泄である。

〇五蔵の疾の類型は,たとえば刺閉のごとし。

〇瀉は熱に対する散針,補は寒に対する留針をもととする。

〇腹中に熱症があれば,三里で下す。

〇脹満には鬲の原,(胃)大腸の下合穴,さらに陽陵泉。飱泄には肓の原,小腸の原,さらに陰陵泉。

 

2020年9月24日木曜日

邪気蔵府病形篇

 『太素』27邪中

  黃帝問[]歧伯曰:邪氣之中人也奈何?

  歧伯曰:邪氣之中人也高。

  黃帝曰:高下有度乎?

  歧伯曰:身半已上者,邪中之也;身半以下者,濕中之也。故曰:邪之中人也,无有恒常,中于陰則留于府,中于陽則留于經。

  黃帝曰:陰之與陽也,異名同類,上下相會,經絡之相貫,如環无端。邪之中人也,或中於陰,或中於陽,上下左右,无有恒常,其故何也?

  歧伯荅曰:諸陽之會,皆在于面。人之方乘虛時,及新用力,若熱飲食汗出腠理開,而中于邪。中面則下陽明,中項則下太陽,中于頰則下少陽,其中于膺背兩脇亦中其經。

  黃帝曰:其中于陰奈何?

  歧伯荅曰:中于陰者,常從臂胻始。夫臂與胻,其陰皮薄,其肉淖澤,故俱受于風,獨傷其陰。

  黃帝曰:此故傷其藏乎?

  歧伯曰:身之中于風也,不必動藏。故邪入于陰經,其藏氣實,邪氣入而不能客,故還之于府。是故陽中則溜于經,陰中則溜于府。

  黃帝曰:邪之中藏者奈何?

  歧伯曰:愁憂恐懼則傷心。形寒寒飲則傷肺,以其兩寒相感,中外皆傷,故氣逆而上行。有所墯墜,惡血留內,若有所太怒,氣上而不下,積于脇下,則傷肝。有所擊仆,若醉入房,汗出當風,則傷脾。

  有所用力舉重,若入房過度,汗出浴水,則傷腎。

  黃帝曰:五藏之中風奈何?

  歧伯曰:陰陽俱感,邪乃得往。

  黃帝曰:善。

  黃帝問[]歧伯曰:首面與身形,屬骨連筋,同血合氣耳。天寒則裂地凌水,其卒寒,或手足懈墮,然其面不衣,其故何也?

  歧伯曰:十二經脈,三百六十五絡,其血氣皆上於面而走空竅。其精陽氣,上於目而爲精;其別氣,走於耳而爲聽;其宗氣,上出於鼻而爲臭;其濁氣,出於胃,走脣舌而爲味;其氣之津液,皆上熏於面,面皮又厚,其肉堅,故熱甚,寒不能勝也。

『太素』15色脈尺診

  黃帝曰:邪之中人,其病形何如?

  歧伯荅曰:虛邪之中身也,洫泝動形。正邪之中人也微,先見于色,不知于身,若有若無,若亡若存,有形无形,莫知其情。

  黃帝曰:善。

  黃帝問[]歧伯曰:余聞之,見其色,知其病,命曰明;按其脈,知其病,命曰神;問其病而知其處,命曰工。余願聞之,見而知之,按而得之,問而極之,爲之奈何?

  歧伯荅曰:夫色脈與尺之相應也,如桴鼓影響之相應也,不得相失也。此亦本末根葉之出候也,故根死則葉枯矣。色脈形肉不得相失也,故知一則爲工,知二則爲神,知三則神且明矣。

  黃帝問曰:願卒聞之。

  歧伯荅曰:色青者其脈弦,色赤者其脈句,色黃者其脈代,色白者其脈毛,色黑者其脈石。見其色而不得其脈,反得其相勝之脈,則死矣;得其相生之脈,則病已矣。


2020年9月22日火曜日

  『類經』〔一六二四年序〕ノート 卷一・三、古有真人至人聖人賢人(四ウラ~)

○白樂天〔七七二~八四六〕曰:「王喬・赤松、吸陰陽之氣、食天地之精、呼而出故、吸而入新」。

    ■出典未詳。/淮南王の劉安 (前 一七九?~前 一二二) 編輯『淮南子』泰族訓:王喬・赤松、去塵埃之間、離群慝之紛、吸陰陽之和、食天地之精、呼而出故、吸而入新。(王喬と赤松は、俗塵を去って、よこしまな俗事から離れ、陰陽の和気を吸い、天地の精を食らい、古い気を吐き出し、新しい気を吸い入れた。)王喬・赤松は、『列仙傳』を参照。

○方揚〔明代。字は思善。一五七一年、進士。〕曰:「凡亡於中者、未有不取足於外者也。故善養物者守根、善養生者守息」。此言養氣當從呼吸也。

    ■明・焦竑(一五四〇~一六二〇)『莊子翼』卷六外物:方思善:「凡亡於中者、未有不取足於外者也。……故善養物者守根、善養生者守息。此至人所以貴天游也」。

○曹真人〔曹文逸、宋朝宣和年間(一〇〇九~一一二六)の女道士〕曰:神是性兮炁〔=氣〕是命、神不外馳炁自定。

    ■曹文逸『靈源大道歌』:「神是性兮氣是命、神不外馳氣自定。本來兩物更誰親、失卻將何為本柄?」

○張虛靜〔張虛靖(本名は張繼先。道教正一派第三十代天師。一〇九二~一一二七。『虛靖語錄』。別稱:張虛靖、虛靖公、虛靖天師)〕曰:「神若出、便收來、神返身中炁自回」。此言守神以養氣也。

    ■『道法心傳』:虛靖天師曰:「神若出、便收來、神返身中氣自迴」。

○淮南子曰:「事其神者神去之、休其神者神居之」。此言靜可養神也。

    ・『淮南子』俶真訓:「是故事其神者神去之、休其神者神居之」。

○金丹大要〔元代の道士・陳致虛撰。致虛、字は觀吾、号は上陽子、故に『上陽子金丹大要』ともいう。〕曰:「炁聚則精盈、精盈則炁盛」。此言精氣之互根也。

    ■元・陳致虛撰〔紫霄絳宮上陽子觀吾陳致虛撰〕『上陽子金丹大要』卷之三・上藥 精氣神說上:「精與炁相養、炁聚則精盈、精盈則炁盛」。

○契秘圖曰:「坎為水為月、在人為腎、腎藏精、精中有正陽之氣、炎升於上。離為火為日、在人為心、心藏血、血中有眞一之液、流降於下」。此言坎離之交構也。

    ■『上陽子金丹大要』卷之五:『契祕圖』曰:「坎為水、為月、在人為腎。腎藏生精、精中有正陽之氣、炎升于上、精陰氣陽、故鉛柔而銀剛」。……『契祕圖』曰:「離為火、為日、在人為心。心藏生血、血中有眞一之液、流降于下、血陽液陰、故砂陽而汞陰」。

○呂純陽〔唐。796年生まれ。原名は呂岩。字洞賓、別號純陽子、又號回道人。道教主流——全真道祖師、中國民間傳說中的八仙の首、道教仙人の一。〕曰:「精養靈根炁養神、此眞之外更無眞」。此言脩眞之道、在於精炁神也。

    ■呂純陽『絶句』:「精養靈根炁養神、此真之外更無眞」。

○胎息經〔『高上玉皇胎息經』。唐代か?道家養生の術、胎息(呼吸法)の要旨を説く。七言韻文で全篇八十八字。〕曰:「胎從伏氣中結、氣從有胎中息、氣入身來爲之生、神去離形爲之死、知神氣可以長生、固守虛無以養神氣、神行即氣行、神住即氣住、若欲長生、神氣須注、心不動念、無來無去、不出不入、自然常住、勤而行之、是眞道路。胎息銘曰:三十六咽、一咽爲先。吐唯細細、納唯綿綿。坐臥亦爾、行立坦然。戒於喧雜、忌以腥膻。假名胎息、實曰內丹。非只治病、決定延年。久久行之、名列上仙」。此言養生之道、在乎存神養氣也。

    ■『胎息經』:「胎從伏氣中結、氣從有胎中息。氣入身來為之生、神去離形為之死。知神氣可以長生、固守虛無以養神氣。神行即炁行、神住即炁住。若欲長生、神氣相注。心不動念、無來無去、不出不入、自然常住。勤而行之、是真道路。 胎息銘:三十六咽、一咽為先。吐唯細細、納唯綿綿。坐外亦爾、行立坦然。戒於喧雜、忌以腥羶。假名胎息、實曰內丹。非只治病、决定延年。久久行之、名列上仙」。

○張紫陽〔北宋の道士。原名は伯端、字は平叔。九八四~一〇八二。『悟真篇』『讀參同契作』など。〕曰:「心能役神、神亦役心、眼者神遊之宅、神遊於眼而役於心、心欲求靜、必先制眼、抑之於眼、使歸於心、則心靜而神亦靜矣」。此言存神在心、而靜心在目也」。又曰:「神有元神、氣有元氣、精得無元精乎?蓋精依氣生、精實而氣融、元精失則元氣不生、元陽不見、元神見則元氣生、元氣生則元精產」。此言元精元氣元神者、求精氣神於化生之初也。

    ■張紫陽『玉清金笥青華秘文金寶內煉丹訣』心為君論:「心求靜、必先制眼。眼者神遊之宅也。神遊於眼而役於心。故抑之於眼、而使之歸於心、則心靜而神亦靜矣」。精從氣說:「神有元神、氣有元氣、精得無元精乎?蓋精依氣生。精實腎宮、而氣融之、故隨氣而升陽為鋁者、此也。精失而元氣不生、元陽不見、何益於我哉?元神見而元氣生、元氣生則元精產」。

○李東垣〔名は杲、字は明之。東垣は号。一一八〇~一二五一。〕省言箴曰:「氣乃神之祖、精乃氣之子、氣者精神之根蒂也、大矣哉!積氣以成精、積精以全神、必清必靜、御之以道、可以爲天人矣、有道者能之。余何人哉、切宜省言而已」。此言養身之道、以養氣爲本也。

    ■李東垣『脾胃論』省言箴:「氣乃神之祖、精乃氣之子。氣者、精神之根蒂也。大矣哉!積氣以成精、積精以全神、必清必靜、御之以道、可以爲天人矣。有道者能之、予何人哉、切宜省言而已」。

                      http://books.eguidedog.net/tw/books2/%E9%A1%9E%E7%B6%93/

                                                                中華經典古籍庫

                                          https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&res=468235

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2020年9月13日日曜日

2020.9.13. 粗読講座 『霊枢』脹論篇 第三十五 (担当:土山)

 

本日の粗読講座のまとめです。

疑問点は1回持ち帰って頂いて、またの機会に勉強させて頂きたいと思います。


・丸山先生は栞のなかで、脹論篇の治療法は明確性を欠いているとしており、補足として甲乙経の治法を挙げている。前半は「虚実に関係なく、脹病に対しては足三里の瀉法を行え」とあったのにも関わらず、中盤では「虚実を間違えないようよくよく診断できるのが良い治療家」とあることから、この補足を加えたと思われる。

・上記のように、統一感が度々失われていることから、それぞれの理論が固まった時代ごとに数人の作者がいると思われる。

・『素問』水熱穴論や評熱病論、『霊枢』水脹篇、衛気失常篇に浮腫の各論があり、本編は脹病の総論を述べた篇だと思われる。

・脹病の大きな原因は衛気の流通障害であり、臨床における衛気の大切さをあらためて実感したことから、もう一度衛気について深い追及をしたいところである。

・浮腫みに悩まされる患者は多いが、単に湿邪だけのせいとは考えにくい。日本人の浮腫みに多いのは水分過多な浮腫みではなく、衛気失調の浮腫みか?→その場合、水分を出すだけの治療ではなく、汗を止めたり、飲食物に気を使ったり、季節に応じた生活や睡眠を正すことで衛気失調から回復し、浮腫みなどの脹病が治療できると考える。

・錯簡と思われる条文が数か所ある一方、比喩表現も多彩であることから文化的な発展があった時代のものも含まれるか?


内経に時たま現れる素朴な比喩表現と臨床にも使える実用的な条文が混在しており、粗読するには単純に面白いと感じる一篇でした。季節は秋になりましたが、残暑がきつく、最近も汗が止まらない人が多い印象ですが、中には足冷えが始まっている人がいます。足三里をうまく使えば今の時期にふさわしい治療ができるのではないかと、少し期待もできた粗読でした。

2020年7月1日水曜日

『クラシカル素問』


「本書は、1956年に人民衛生出版社で印刷・出版された『重広補注黄帝内経素問』を底本としており、これは1852年に金山銭によって校勘されているものです。」

困ったものだ。
現代漢語の読解力が足りないのか,『素問』版本についての基礎知識を持っていないのか。

上記のネット記事しか読んでいないが,
この訳書の底本は,人民衛生出版社の活字本(1963年初版)だと思う。
そうであれば,上記の説明は,あきらかに誤りである。
人民衛生出版社の「出版説明」には,次のようにある。
*******************************************************
われわれ(人民衛生出版社)は,我が社が1956年に景印出版した顧從德本『素問』を監本とし,1852年の金山の錢氏守山閣本とその校勘記,および関聯書を参考にして,全面的に校勘を行なった。
*******************************************************
1956年本を底本として,1852年本の校勘記事などを取り入れた上で,全体を校勘し,1963年に出版した本である。
 「校勘記」は,もちろん金さんのものではない。金山は地名。守山閣の錢熙祚のものでもなく,顧觀光の『素問校勘記』である。

2020年5月18日月曜日

2020.5.17. 粗読講座 『霊枢』海論 第三十三 (担当:中野)

人の営衛血気が流れ集まるものとして、胃・衝脈・膻中(胸中)、脳を挙げ、それぞれ自然界の四海になぞらえて水穀・血・気・髄の海と定める。
四海それぞれの診断点と有余不足の症状を説明し、治療原則を示す。

以下、あがった疑問に対して話した内容です。
(いろいろ話はしましたが結論は出ていません。各自持ち帰り、考えたい人は考える。)
「四」はどこから来た?
・『山海経』では4つの海と表現されている
・「四海」には「世界」の意味がある
・『論語』顔淵第十二の五に「四海」を「世の中」という意味で使われている
・「7つの海」という表現はどこから?→ヨーロッパ圏の影響だと思われる
・ギリシャの四元素説(ガレノスの四体液説につながる)からインドの四大説、そこからの仏教やインド医学、チベット医学の影響があるのではないか
・主流の医学として残っていない、モンゴルや少数民族の世界観や医学からの影響もあるかもしれない

「衝脈」って結局なに?
・「血の海」ということから大動脈を指しているのではないか
・衝脈の「十二経之海」という表現は、海論の他に素問霊枢では動輸(63)にある
他に『素問』で痿論(44)に「経脈之海」、『霊枢』で逆順肥痩(38)に「五蔵六府之海」、五音五味(65)に任脈と併せて「経絡之海」とある(「血の海」という表現はどこから来てる?)
・任脈、督脈の深いところが衝脈という解釈がある
・『素問』上古天真論(1)で女子十四歳の説明で「任脈通太衝脈盛」とあり、王冰注に「衝為血海」とある
・女性の生理・病理に関する記述に衝脈が出てくるが、男性の衝脈はどのように考えられているのか